前の “砂糖発祥の地!実は、、、、” において

江東区教育委員会の説明文書の中で、

【 藤三郎が工場の移転地としてこの地を選んだ理由は

原料や製品の運搬に小名木川の 水運がとても便利だったからです。 】

っとありました。

実はあの後、どのように便利だったのか、、、、

もう少し詳しく知りたかったのですが、いい資料が見つからず行き詰っておりました。

そんな時に、江東区中川船番所資料館 に原料糖の荷役の写真があるとの情報をいただき、

昨日、小名木川の東端にある 江東区中川船番所資料館 へ娘と行ってきました。

入館(大人¥200、子供¥50)して、こんな身近な場所になんと凄い資料館があるんだと

驚かされました。(それに綺麗で、安くて、空いてます。)

中川船番所や運河のこと、釣り竿の事、地域の産業の事などとても詳しく展示してありました。

また、1階の図書室には専門書籍もいっぱいあり、ゆっくりと調べ物をするにもいい所でした。

捜し求めていた写真は3階にありました。

1895年に北砂5丁目に大日本製糖が建てられたので

いずれも1895年以降の写真と思われます。

・左の写真は現在の大島側(現在の丸八橋の上辺り)から

小名木川越しに大日本製糖を写したものと思われます。

写真から推測して、煙突の向こうから川岸まで大日本製糖の広大な工場と思われます。

また、小名木川を多くの船が利用していた事も分かります。

・右の写真は岸壁に船を横付けし小さなクレーンで麻袋(マタイ)に入っている原料糖を

2袋づつ引き上げている様子と思われます。

現在の砂糖の紙袋は重いものでも30kgですが、

この当時の麻袋は、国によっても違かったらしいですが重いもので150kgもあったそうです。

主に100kgの麻袋が主流だったそうです。

 

昭和17年当時と現在を同じアングルから撮った写真です。

工場の跡形は何処にも無く、今はマンションとなっております。

“精製糖工業発祥の地”の碑は手前に見えるマンションの向こう側にあり

中川船番所資料館からは歩いて15分から20分くらいの距離にありますので、

ご興味をお持ちになられた方は、始めに中川船番所資料館にいくとよいですよ。

砂町銀座という庶民の台所も碑のすぐ近くにありますので、帰りに買い物などして楽しめますよ。

ちなみに、“精製糖工業発祥の地”の碑から宮崎商店(宮崎製糖)までは

徒歩30分程掛かります。

宮崎商店(宮崎製糖)は、

玉砂糖等の含蜜糖専門メーカーです。

今後とも、宜しくお願い致します。