砂糖発祥の地!実は

日本国内で、一番最初に商業ベースで白い砂糖を製造した地、そぉーそれは、な・なっなーんと!現在の江東区の砂町(北砂)だったそーなのです!(宮崎商店は東砂)現在の駅でいうと、都営新宿線の西大島と大島の間で、小名木川の南岸、北砂5丁目20・21番付近なのです。

 

この石碑と看板が今でも、跡地に立っていました。

石碑の表には

 

“ 我が国、精製糖発祥の地 ” と記されており、まさにこの地が精製糖の発祥の地と見受けられます。

石碑の裏には

 

“ 昭和十五年十二月十三日 大日本製糖株式会社建之 ”っと記されており、まさに、この碑がS15年12月13日に大日本製糖(現在の大日本明治製糖)によって、建てられた。と書いてありました。

そして、横の説明書きには

 

『  精製糖工業発祥の地(北砂5~20・21) 砂糖は八世紀に伝来(でんらい)し、十七世紀後半までは薬として珍重されてきたといわれています。江戸時代に は八代将軍徳川吉宗が国産化を奨励、明治に入ると日本の各地で精製糖(白砂糖)の製造が試されるようになります。しかし、いずれもうまくいかず、明治二十 三(1890)年、この地に建てられていた鈴木藤三郎の精糖所でようやく成功し、砂村において、日本で初めて純白の砂糖が誕生しました。鈴木藤三郎は、安 政二(1855)年、遠江国(静岡県)に生まれ、明治十七(1884)年より氷砂糖を製造していました。同二十二年、上京し、砂村に工場を移し、同二十五 年から本格的に精製糖の製造を開始しました。

藤三郎が工場の移転地としてこの地を選んだ理由は、原料や製品の運搬に小名木川の水運がとても便利だったからです。また砂村は、砂糖の国産化の奨励地として徳川吉宗が甘蔗(さとうきび)の苗を栽培させた、極めて砂糖とゆかりの深い土地であったためでもありました。

平成四年三月  江東区教育委員会 』、、、、、っと書いてありました。

江 東区内で唯一1社となってしまった宮崎商店(宮崎製糖)の社員として、改めてこの地で砂糖造り(玉糖造り)を続けていく、ということの歴史の重みと深さを 感じ、また、現在社会において宮崎商店(宮崎製糖)という会社が業界の生き証人となりながら、砂糖発祥の地の碑を紹介し、 後世に伝えて行かなくてはなら ないという使命のようなものを感じました。これからも、会長(78歳)・社長(40代)にも協力してもらいながら、新たな情報を組み込みながら紹介してい きたいと思います。

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